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西浅井町沓掛から福井県敦賀市疋田を結ぶ深坂古道
 コミュニティサイト「koti」管理人が 実際に歩いてきました。
ここではそのレポートを紹介します♪


スタート!(00:00 0歩)

 湖国バス・深坂線「近江鶴ケ丘」バス停を降りて5分ほど歩くと、緑のトンネルをくぐって深坂古道が始まります。
今回は西浅井町沓掛側からのスタートです。
古道入口(塩津海道)

 古道に入ってすぐ、左側に立っている「塩津海道」の石杭。深坂古道は昔、「深坂越え」と呼ばれ、古道のあるこの山は「塩津山」と呼ばれていました。このことから、敦賀から塩津へ抜けるこの道を「塩津海道」と呼んでいます。深坂越えは古代から、近江と越前を結ぶメインストリートとして繁栄していました。越前・敦賀津で荷揚げされた荷物は、この深坂を越えて近江・塩津へ運ばれていました。
沓掛問屋跡

 10分弱歩くと、川沿いに作られた苔むした大きな石垣が目にとまります。これは「沓掛問屋跡」です。運送路が栄えるということは、当然それを扱う問屋さんが栄えるということになります。敦賀から馬に乗せて運ばれてきた荷物は一旦、この問屋に降ろされ、塩津から迎えにきた馬に乗せ替えられました。登ってきた馬がヘトヘトになってしまうほど、この道は険しい道だったのです。
 そして時代が変わり、豊臣秀吉の時代に西村孫兵衛が、(高低差が少なく歩きやすい)東近江路「新道野越え」を開拓し、新しい問屋が開かれると、「深坂越え」は通行量も減り、それと共に沓掛問屋は廃業に追い込まれました。
深坂地蔵(00:20 1300歩)

 峠の手前には、深坂地蔵さんがおられます。
平安末期のこと。時の覇者であった平清盛は、近江・塩津から越前・敦賀を結ぶ運河を計画します。この事業を引き受けたのが、当時の越前国司であり、清盛の長男であった重盛です。重盛は塩津側から掘削を始めました。しかし峠付近にさしかかった時、大きな岩に突き当たりました。そこで石工が岩を割ろうとクサビを打ち込むと、突然石工は腹痛を訴えて倒れこんでしまいました。別の石工が試みましたが、同じように腹痛がおこり、工事は中断してしまいます。不思議に思ってみんなでこの岩を掘り起こしてみると、そこには立派なお地蔵様のお姿があったのです。「これはただ事ではないぞ」ということで、運河計画は中止となり、その場にそのお地蔵様を安置したと伝えられています。
これが、今に残る「深坂地蔵」の言い伝えで、現在では子供の守り神として、多くの人々がお参りに訪れています。
 ここにはトイレや休憩所などもあります。
深坂峠(00:30 1950歩)

 左は峠に立つ案内板。大変詳しく、わかりやすく解説されています。
残念ながら、現在深坂地蔵から峠までは古道が途切れていますので、少しだけ林道を歩くことになります。
炭焼き窯跡(00:40 2150歩)

 湖北では炭焼きが盛んに行われていましたので、こういった窯跡が山中のあちこちに見られます。左の写真はちょっとわかり辛いですね(すいません^^;)。
笠金村 歌碑(00:45 2525歩)

 笠金村は、万葉集に登場し伊香山(現在の賤ヶ岳)で2首、そしてこの塩津山(深坂越え)で2首の歌を詠んでいます。この歌碑に刻まれている歌をひとつ紹介します。

  
鹽津(しおつ)山打ち越え行けば我が乗れる馬ぞつまづく家恋ふらしも

(塩津の山越は険しく、私が乗っている馬がつまづいた。きっと家人が私を思っているのだろう)
紫式部 歌碑(01:05 3680歩)

 996年のこと。父の藤原為時が越前の国司として任につく際、船で塩津に着いた後、この深坂を越えて行きました。その時に同行したのが、後に「源氏物語」の著者として知られるようになる、紫式部でした。もちろん、貴族である式部が歩いて通った訳ではなく、輿に乗っての旅でした。
 この輿を担いでいる人夫が「ホンマにこの道はいつ通ってもしんどい道やなぁ」とつぶやくと、式部は輿の中から
 
知りぬらむ往来にならす塩津山 世に経る道はからきものぞと
(おまえたち、これでよくわかったでしょう。世の中というのはこの道のように厳しいものなのですよ。)
と詠んだといいます。当時式部は20歳前後、自分は歩きもしないで人生の厳しさを語るあたり、さすがは貴族のお嬢様ですw。
深坂古道の景観

 苔むした岩と腐葉土の道は、古来からかわらずにその姿を残しているようです。カメラのファインダー越に眺めると、今にも荷物を担いだ商人や、米俵を背負った馬などが見えてくるような錯覚を覚えます。
古道出口(疋田側入口・01:40 4840歩)

 こちらが福井県敦賀市疋田側の入口になります。
周りは地元の方の畑になっていました。「こんにちはー♪」と挨拶すると、「こんにちは♪」と笑顔で答えて下さいました。こういうところで人に出合って笑顔をかわすと、なんとなくあったかい気持ちになりますね♪
案内板

 所々に古道への案内板が作られていますので、迷うことなく歩くことができます。渓谷沿いですので、ひんやりとした空気と水の音がとても気持ちよかったです。
ゴール!JR北陸本線・新疋田駅(01:50 5700歩)

 古道とは直接関係ありませんが、この駅、とってもいい雰囲気なんです♪
ホームに入ると、なんだか映画に出てくる田舎の駅そのもので、旅の最後にまたまた感動してしまいました♪
 ここからJR近江塩津駅まで電車で帰りました。線路は、今歩いてきた深坂古道の真下を通っています。所要時間はたったの5分。2時間近くかかって越えてきた道を、今では椅子に座ったまま、ものの5分で帰ってしまいました。

P.S.
 清盛さん、秀吉さん、形は違いますが…これでいいんですよね?(笑)
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