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悠久の歴史が息づく神秘の里。 | |||||
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淳仁天皇ゆかりの 緑深い地の宮 | |||||
![]() 天皇自ら榧(かや)の木でご自身と皇后様の肖像を彫刻し「何処に寿を終わるも神霊必ずこの肖像に留め置く」とおっしゃったと伝えられる地だけに、凛とした気高さの漂う湖岸の社です。 拝殿の裏には、淳仁天皇の舟型御陵が今でも残されており、水屋から素足で参拝する氏子たちの姿もしばしば目にします。 |
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「菅浦文書(すがうらもんじょ)」から村の歴史を読む。 | |||||
![]() 住民には、供御人出身の者のほか、神社に仕えていた者や百姓など、様々な身分の者があり、貧富の差も存在したことは言うまでもありません。それにもかかわらず、すがうらではすべての構成員を供御人とすることにより、平等な構成員による惣共同体を作り出しました。 |
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村の境界をめぐり、大浦との間に紛争も。 | |||||
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菅浦に見る自治の精神。 | |||||
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菅浦が正式に独立した惣村として幕府に認定されるまでには、文安3年(1446)まで待たなければなりませんでしたが、この界相論をめぐる運動はまた、同時に自治的村落としての独立のための運動でもありました。湖岸の僻地で、名もない庶民が自立意識を保持し、自治を維持するために行った活動が「菅浦文書」の中に息づいています。脈々と受け継がれてきた生活経験は、時とともにその形を変えてきましたが、年中行事に、また錯綜した村の「取り決め」や「個人の人権」を守ることが、日常生活に何の抵抗もなく溶け込み、生かされている集落が菅浦なのです。住民自らの手による地域作りが求められる今日、その手がかりを菅浦の歴史の中に見ることができます。 | ||||
菅浦与大浦下庄境絵図 | 菅浦置文 | ||||
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