びわ湖最北端に面する集落で、江戸時代には、びわ湖独特の帆船「丸子船」の基地として大津湊に引けをとらない港町として繁栄しました。 他の集落には無い小規模な都市的集落の歴史を持っています。町並みは、宿場町の雰囲気で当時の建物も少し残っています。
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平安の昔から港町として栄えた、風情たたずむ歴史海道を抜け、
四季折々に表情 を変える、大きな自然の中を散策。
ゆっくりと穏やかに流れる時間が、奥びわ湖にはあります。
塩津海道
塩津港遺跡
平成18年度から平成20年度の3年間に及ぶ発掘調査で発見された、塩津港の入口にあった中洲の上に造られた神社。約50m四方の区画を持ち「神殿」「拝殿」「門」「鳥居」「堀」などの施設跡がある。堀からは多量の木製品が出土し、「起請文木簡」や「神像」など他には例を見ない遺物が発見された。道の駅情報館でパネル展示をしています。
塩津神社
塩津浜は平安の頃より、北陸・越後から運ばれてくる海産物、特に塩の輸送の重要な中継地でした。
塩津神社は祭神を塩土老翁とし、近くの志波谷では塩水が湧き、村人が製塩を行っていたと伝わっています。
山門水源の森
深坂地蔵
深坂地蔵は、塩津海道の旅人が道中の安全を願い、塩をお供えしたことから塩かけ地蔵とよばれています。
このお地蔵様は平清盛の命令で始まったと伝わる敦賀湾とびわ湖を結ぶ運河工事を中止した折に、安置されたと言われています。
黒山の石仏群
賎ヶ丘合戦の折、柴田勝家輩下の武士たちの家族が、菩提を弔って、お墓の代わりに石仏を奉ったと言われています。
明治時代の廃仏毀釈により荒れ果てていたものが、昭和に入り、現在の地へ奉られるようになりました。
北淡海・丸子船の館
四足門
菅浦には、東と西の入口に、それぞれ茅葺きの棟門があります。
この門は4脚で、中世から明治維新まで集落の四方の入り口にあったことから四足門と呼ばれています。
集落の入り口にあることから、村の出入りの検札が行われていたと推測されます。